ふるさとコラム





♪夢をナー夢をもちかえ お前とふたり 超える峠の 村ざかい
オーイオーイ帰ってきたよ ふるさとさん 呼べばこだまも迎えてくれる
「やぁやぁ何と先ずハいいなぁふるさとは」 みんなみんな昔の まんまだよ

♪たったナーたったひとつの 自慢の土産 カケス見てくれ おれの嫁
オーイオーイ帰ってきたよ おふくろさん 都会育ちでか細いけれど
「何しろおれが惚れた女だもの」 花を花を咲かすサ この村で

♪山はナー山は夕焼け わら屋根ひとつ 駆けてくるのは 妹か
オーイオーイ帰ってきたよおやじさん 生まれ変わって明日から先は
「なあ親父ぃ淋しい思いさせたなぁ」 うんとうんと楽しく 生きてくれ







忠魂碑 軽尾(かろう)城跡
学校に隣接して建立されていた忠魂碑前の広場は、我々男子生徒にとって格好の遊び場であった。常設で土間に手書きの「肉弾の土俵」が存在していた。肉弾とは、上品な言いかたをすると、「ぐねしゃ」である。本来、このの場所は校地ではなかった筈だが、チャイムが聞こえる範囲は、我々にとってはすべて校内のように自覚していたように思う。 戦国時代、備中守護鴨方細川氏の庶流である天竺三郎元氏の居城だった軽尾城跡も我々にとっては、随分なつかしい場所のひとつだ。殊のほか眺望も拓け、湯野全域が見渡せすことができ、砦としては超一級のロケーションである。今では、湯野銀座の座を本郷に奪われている感があるが、かっては奥郷こそ湯野の中心だったに違いない。(筆者が奥郷出身なもんで・・・)湯野村役場が奥郷にあった事を知る人が少なくなったことは、非常に残念なことである。


備中湖 旧校舎
夏になれば、毎日のように泳ぎとか、うなぎ捕りに行っていた竹の瀬。佐原目・柳平・加合木等を犠牲にして、完成した新成羽川ダム。しかしあれだけの景観をもってして、観光とかに力をいれて、もう少しどうにかならんもんじゃろかなあ・・・風光明媚な湖畔を通るたび、いつも思うのは筆者だけだろうか・・・ 総平屋建てのいかにものどかな佇まいのこの校舎も今となったら、いとおしいものです。渡り廊下にたむろして、とりとめのない馬鹿話をしていたこと・・・ソフトボールが前の山に飛んでいって山の中をあてもなく探したこと・・・運動場でバイクの練習をさせてくれた粋な先生・・この画像を見るたびに走馬灯がごとく思い出がプレイバックしてきます。


袈裟尾(けさお)城跡 湯野小学校・二宮尊徳像
西油野の軽尾城に対して、鷲尾庄司武久の居城であった東油野森迫・笹屋の袈裟尾城跡に、筆者は登ったことがないが、湯野のどこにあっても臨むことができ、如何にも城山であろうという佇まいをかもしだしている。古文書によれば、保元の乱で源義朝に従ったため、所領は没収され、東油野は平家のものになったと記されている。 校庭を囲むように配置されていた、湯野小学校もすっかりリニューアルされ、往時を偲ばせるものとしては、大きく剪定された銀杏の大木と、この金次郎像だけとなってしまっています。いたずらっ子(たぶん・・)によって、本、槙、足・・・と無残に壊され、大きな荒っぽい外科手術の跡が痛々しいかぎりです。でもなんで金次郎さんの像があるのか未だによく分からない。


新成羽川ダム 消えた集落
良しにつけ悪しきにつけ、ダムの造成は湯野を大きく変貌させた。先祖伝来の土地を追われ離村を余儀なくされた多数の家々・・・・ダムの完成と相まって若者の都会への流出。何百年と続いた湯野集落の姿はこれを機会に一変し、過疎という悲劇は加速したのでした。 ダム湖畔の県道上に立つ、「柳平」の地名の標識。集落はなくなったものの、山中の地名・地番は今もしずかに存在しているのです。時に人間は自らの手でむごいことをするものです。


消えた中学校 統合校
湯野中学校の校舎は取り壊され、跡地にはコミュニティーハウス湯野荘が建てられた。往時を偲ぶ校門は今に昔のまま残っています。(その後撤去されました) 湯野中学校は西油野から消え成羽町布寄田原に立地されました。そして町内の中学校はすべて備中中学校に統合されました。湯野から中学校が消えた時点で母校は消えたと強く思ったものでしたが、今となっては建物は消滅したものの母校は皆んなの胸のなかにいつまでも、しっかりと存続しているものなのだと実感しています。



直径22cm厚さ9.5cmです。
どこに連れていくの? 県指定重要文化財〜鰐口
今でこそ、備中トンネルで瞬く間に通リ過ぎてしまうのですが、井川から惣田の区間は大変な難所でした。始めての人を案内する時、まづここで、「どこに行くの?」と尋ねられたものでした。そして田尻坂を登り始めると「本当に大丈夫?人が住んでいるの?」とまるで人さらいの如く不安がられたものでした。 真言宗の古刹である湯野観音寺に伝わる県指定重要文化財の青銅製の鰐口です。刻印によると、南北朝末期の1381年に現在の山口県光市の東興禅寺のものとして鋳造され、のちにこの観音寺に移されたものと思われます。


むかしの「楽」 荒神まつり
湯野の一大イベントは何といっても秋祭りでした。今では渡り拍子などと言っていますが当時は、「楽」でした。祭りが近づくと夜、楽の練習の鉦・太鼓の音が聞こえてきたものでした。 そして、冬になれば、荒神さまのお祭りです。何と行っても、神楽です。当番の家で朝まで、奉納されます。大黒さまの「餅投げ」が子供にとっては唯一の楽しみでした。筆者の家でも当番になり神楽が舞われたことを小さい時のこととはいえ鮮明に覚えています。


湯野小学校校門 中学校から観音寺方面
湯野小学校は校庭を囲むように建っていた木造校舎はすべて建て替えられすっかりリメイクされました。写真は新しい校門です。以前は西の方角にありましたが、現在では、県道側に移っています。 旧中学校の校庭から紅葉越しに、西の方面を望む写真です。学校時代、いつも見えていた風景ですが随分、趣きが変って見えるものですね。


小学校の大銀杏 本郷「JA」付近
随分思い切って剪定されたとはいえ、往時を偲ばせる銀杏の大木です。 写真は湯野小学校の新らしい校門から、東方の農協方面
を望んでいます。



湯野・・・・西から・・東から・


お湯も油も出ないのに何で湯野・油野なのでしょう?村の名前は湯野なのに
何故西油野、東油野なのでしょう?ふと疑問に思ったことはありませんか?
今から500年も昔の古文書に「由野」という表記が確認されています。
このことからも分かるように、当時は表音表記が主流で、
漢字の持つ意味は全く重要視されていなかったのです。

そして意外に知られていないのですが、湯野はいわゆる大名領ではなく、
大森支配所管轄の天領でした。湯野以外に、西山、平川、坂本、布寄も
大森支配所管轄の天領であり、吹屋は倉敷支配所管轄でした。
当時は、行政区分は微々細々に入り乱れ、川上町の領家や地頭は
備後福山藩の飛び地であり、上下町は九州中津藩であり、
有漢町に至っては伊勢亀山藩の飛び地であったというような具合でした。



かっての恋人・東城からの道 二本松国境(広島岡山県境)
備後と備中は同じ吉備の国。明治初期は同じ県に属していました。大正時代に、東城町を核に、野馳村、矢神村、湯野村らで新しい郡を形成して岡山県に帰属するという運動が起こりました。もちろん県域と超えての縁談はもろくも挫折したのでした。今回は備北の雄、かっての恋人・庄原市東城町から湯野に至る道中をレポートします。 国道182号線の県境から50メートルほど北に旧街道が併走しています。そこにはかっての国境をしるした二本松国境跡があります。二本松国境には、若山牧水記念公園が整備され牧水の歌碑も建立されています。


一番近い駅「JR野馳駅」 遠くで汽笛を聞きながら
湯野から一番近い駅です。言い方を替えれば、正信の奥の西山の奥になる訳ですね。(どっちが奥でしょうか!)。早期にふるさと農道が野馳駅まで延伸することを望みます。すると湯野からJR駅まで15分で行けるようになります。 けっしてバスではありません、JR芸備線です。子供の頃、筆者の家からも、秋口になり条件が揃った時、西の指田の方向から汽笛の音が風に乗って聞こえていました。・・・アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」を聴くと、あの蒸気機関車の汽笛が脳裏に蘇えってきます。


野馳交差点 西山の境に到着
西山への分岐点ですが標識には哲多と表示されていて備中という表示がないのがさみしい・・ なんと「しょぼい」標識なんでしょう!でも今では新見市と高梁市との市境ということになるのですね??


遥かにのぞむ天神の・・・ (大蔵)湯野別れ
西山ロッジからの風景です。天神山(778m)と小吹山(773m)です。ほとんどドングリの背比べですが、小吹山のほうがかなり高くみえますが西山に近いせいです。これこそ「遥かに望む天神」です。 この三叉路から正信経由で西油野に通じます。これでも県道か?という大変な道路です。「険道マニア」には不名誉にも悪路として知られています。西郷と本郷境の石舟の所に通じていますが通る人はほとんどありません。国土交通省でなく農林省の予算で建設した「ふるさと農道」は、2車線の快適道です北方別れに通じ、西山〜湯野間はあっという間です。


豊松・平川境 堰堤道路
急速に発展する神石高原町豊松に隣接する平川地区。豊松から平川に入ると何故か急に田舎臭くなる.同じように感じるのは、どうやら筆者だけでもないみたいだ。 堰堤道路は平川と湯野の時間距離を半分に短縮してくれました。・・にも拘わらずその実感を感じさせてくれないのは何故でしょう。それはアクセス道路の改良が遅れているというか、なされてないからなのです。


市道佐原目線 湧き水
川沿いの県道から筆者の実家へは最短距離になる佐原目線。なんで、改良してくれんのんじゃろかなあ・・・ 子供の頃、夏になったら毎日のように遊びに成羽川に行ってた頃・・たしか・・湧き水があったような記憶がある。でも、現在では呑む気にならなかった・・・・・


道路改良 箱根の山は♪・・
その一方、一番距離の長い上原経由の県道は急速に改良が進んでいます。(写真は松友バス停付近の工事中のものです)現在は完成しています。 つい最近まで、最大の難所だった松友バス停からしばらくの区間。特に筆者は、〜昼なお暗き〜杉林の中の細いカーブ道が印象的でした。あそこにかかると「箱根の山は〜」の歌が思い出されました。その区間も現在は写真の通りです。


上原からの眺望! 北方別れ(ふるさと農道)
長い間気にいって当HPのトップ写真として掲載させて頂いていた上原からの風景写真です。あの写真は友人が撮影した写真でしたが今回の写真は同アングルで筆者が撮影したものです。前作には及びませんが雰囲気は伝わると思います。 北方別れから、一瞬、道を間違えそうになる程の立派な道路。西山に通じるふるさと農道です。天神山の北側を貫通して坂本経由で新見市に通じる道も早期に改良して欲しいものですが高梁市への合併で望み薄でしょうか。湯野の新ターミナルです。



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